園長のつぶやき

20081211園庭のどんぐり

 防風林として園庭に植えた20本余の棒カシが、今年は豊作でたくさんのどんぐりをつけてくれ、園児たちは大喜び。
 拾ったどんぐりを両手を広げて見せに来る。ちょっと小粒だが、つやもよく形もよい。目下園庭のままごとのメニューはどんぐりづくし。
 園児の帰った静かなままごとコーナーには、カラフルな小さな器に山盛りのどんぐりが置いてきぼり。
ナラ類、カシ類、カシワ、シイ、クヌギなどがどんぐりの実をつけるらしいが、それぞれ形や大きさに違いがあるらしい。
 どんぐりがほしくて、10年程前に山から移植したコナラがいっこうに実をつけない。造園業の方の話では、同じコナラでも実をつけないものもあるそうだ。園庭の特等席に植えてあるのだが・・・。
 私が昨秋、参加した「念仏奉仕団」の折、京都の西本願寺の百華苑で、ものすごい大粒のどんぐりを20ヶ余り拾ってきた。それをプランターで芽出しし、30cm位に成長した苗を園庭の隣にある保育園の畑に移植した。
「ののさまどんぐり」と名付け、看板を立てた。この苗が成長し、実をつけるようになれば、園児たちの中でジャンボどんぐりとしてきっと人気者になるだろう。
 園児たちが、小さな手を広げ、拾ったどんぐりを見せ合っている光景を描きながら、積雪対策に苗木の補強をしている。

20081128慈愛の心を親から子へ

 私が若い頃に味わった忘れられない母の心との出会いについて書いてみたいと思います。
 私が教員としての初任校は八尾から何里も山奥の白木峰のふもとの小さな分校でした。その辺りの学校の先生たちは、県内の各地から赴任していたので、ほとんどが教育宿舎に一週間泊まり込みでした。土曜日に自宅に帰っても、日曜日中には宿舎へ帰らないと月曜日の授業に間に合わない。ちょうどあの三八豪雪の時だったし、家から全部歩くのです。
 山道にさしかかると郵便屋さんの大幅の足跡が一つあるだけのあら道同然の道を進むことになった。一人で来たことを後悔しながらも、進むしかない。食料を詰め込んだリュックは肩にくい込むし、あたりは暗くなってくるし、体調も悪く咳もまくれてくる。一足一足長ぐつはとられるし、はずかしい話ですが、涙まで出てきた。限界を感じた私は、自分の学校まで行き着けないと判断し、一つ手前の学校の宿舎へころがり込んだ。靴の中はぐじゃぐじゃ。どうにかぬいだら、白いはずのソックスが真っ赤。
 驚いてみると、小さな種子のようなものがある。靴を逆さにふってみると、落ちてきたのが、なんば。赤い唐辛子だった。唐辛子がつぶれてソックスを真っ赤に染めていたのだ。家を出る前に、母がそっと長ぐつの中に入れてくれたのだった。しもやけのできる私を気づかって足もとが温まるようにという母の思いやりだったのです。
 昔から唐辛子は温まるといっていろんな使い方をしたものです。雪の山道を泣きながら、這うようにしてやっとたどり着いたときの赤唐辛子は、まさに母の愛そのものでした。この時のことは、決して忘れることができません。
 保護者の皆様も、きっとご両親の慈愛に満ちたたくさんの思い出をお待ちのことでしょう。ご両親から受けたその慈愛の心を 子からまたその子へとリレーできたらと思うのです。わが子ばかりでなく、周囲の人たちにも。愛を受けて育った子は、また人を愛するといいます。
 よくお寺のお説教で阿弥陀さまの心を親の心にたとえられます。親は、わが子が一番ですが、阿弥陀さまは一人一人すべての人の親さまであり、大いなる心で園児一人一人を包み込んで下さると私は信じています。

20081125子どもの手作り絵本に寄せて

「母と子の名作」づくりを楽しみませんか。

 楽しい子どもたちの絵本を見せてもらいました。
今回は、文字のない絵本ですが、子どもたちは1ページ毎に自分の思いをいっぱい語ることでしょう。
その子どもの話を聞きながら、母と子でお話を作り上げてもらえたら、どんなに楽しい本になることでしょう。
仕上がった絵本は、世界に一つだけの絵本となり、母と子の一生の宝物となりましょう。
 さて、子どものお話作りには、1・2歳頃のままごとやごっこ遊びに始まり年長組頃には、一応形がついてくるようです。こういう発達を考えると本の読み聞かせや、ゆっくりとした語らいの場が必要です。家庭でも1対1でお子さんの表情や息づかいまでも観察しながら、本読みをしたりごっこ遊びの相手をしてあげて欲しい。そういう中で皆様は、いつの間にやら親としての願いを吹き込んでおられるはずです。
元気、平等、ユーモア・・・・。
 本読みの中においても、ごっこ遊びの中で交わすことばの端々にも、わが子への親の願いが強調されているはずです。
こうして、一人一人が親の願いに包まれて成長すると思うと、責任重大です。
 「忙しい 忙しい」と走り回るばかりで親失格の私でしたが、その子が今もう親になっています。失格の親の私をつつんでくださった「おかげさま」という周囲の人や仏様の存在を今、しみじみと感じています。
皆様、完璧にはできないけれども、努力したいものです。
 毎年、大島絵本館で手作り絵本コンクールをやっています。この子たちの中から、いつか応募する子や絵本作家の誕生もあるかもしれない。
ただ、この子たちが親になったとき、親にしてもらったことを、今度はわが子にしてやろうとすることは確かです。
名作の発刊(?)おめでとう!! 

20081025銀杏に寄せて

金色の 小さき鳥の 形して いてふ(いちょう)散るなり 夕日の丘に
与謝野晶子

 秋ともなると、いちょうの黄葉は一際美しく、どんなに遠くからでもいちょうだとわかる。昔からいちょうの木は寺や神社につきもので、たいてい一本や二本はある。また、いちょうの木にまつわる伝説も多い。
いちょうの木は水気が多く火災の折などは、いちょうの木から水を吹き出して火を止めたという話もある。確かに水分が多く、切り落とされた枝は、なかなか枯れずたくましく芽を伸ばす特性がある。また、いちょうの葉は漢方薬に使用されるが、葉そのものは何の匂いもしない。それなのに、実のあるあの独特の匂いは、どこから来るものであろうか・・・。

 今年は、園児に家庭へのお土産にすこしずつでも持たせたいという思いがあったので、さかんに実が落ちる中、かなり意欲的に拾った。完全に熟した実が落ちる時、まるで地表でちょうど小さいおはぎが落下したような音をたてた。背後に前方に、あちこちに次々と小さなおはぎの音を聞きながら、「どうか私の頭だけは落ちてくれるな。」と念じながらも、いつのまにか銀杏の音に愛着すら感じていた。
栗でもない、どんぐりでもない。今まで気づかなかったが、これは他では聞けない「銀杏の落ちる音」そのものであった。表面が少し凸凹があるせいか、完熟した果肉は独特の質感でぽったりと地面に静止している。少しも形を崩さずに。
 一番、匂いの強いのが果肉質の部分で、一粒ずつ手でぬるりっとこの部分を取り除くと中に、白い硬い実が現れる。なかなか暇のかかる作業であり、私は毎年、注意しているのにかぶれる。一度かぶれると一ヵ月は治らない。今年もやっぱりかぶれてしまった。

 亡くなった姑から聞いた、銀杏遊びの話を思い出す。姑は大正二年生まれであったから、姑の子供の頃というと大正時代のことである。「銀杏かつけ」つまり、銀杏を使ったビー玉遊びのことらしい。ビー玉のない時代のことである。子どもたちは、各々バチと呼ぶ大切な自分の親玉の銀杏を持っており、母親に作ってもらった「巾着袋」に入れ腰に吊して歩く。そして、グループでビー玉ならぬ「銀杏かつけ」(銀杏の当てっこ)をしたようだ。
 親玉の中でもとび抜けて大玉は、「織田さま」といったとか。何でも織田さん方のいちょうの粒が大きくて、とてもみんなの憧れであったとか。
 二十年後の私の幼年期は、銀杏がビー玉となり腰の巾着袋の中でガチャガチャと音を立てさせながら、遊び歩いたものだ。地面に書いた三角形の中のビー玉、ねらい打ちし弾き出す。毎日毎日、日の暮れるまでビー玉で遊んだ。今でもあの地面に書かれた黒光りをしている三角形がよみがえる。
今、園児たちが、各々にペイントした銀杏が保育室の棚に並んでいる。いろいろとルールを工夫しながら銀杏おはじきが流行している。