2008年10月

20081025銀杏に寄せて

金色の 小さき鳥の 形して いてふ(いちょう)散るなり 夕日の丘に
与謝野晶子

 秋ともなると、いちょうの黄葉は一際美しく、どんなに遠くからでもいちょうだとわかる。昔からいちょうの木は寺や神社につきもので、たいてい一本や二本はある。また、いちょうの木にまつわる伝説も多い。
いちょうの木は水気が多く火災の折などは、いちょうの木から水を吹き出して火を止めたという話もある。確かに水分が多く、切り落とされた枝は、なかなか枯れずたくましく芽を伸ばす特性がある。また、いちょうの葉は漢方薬に使用されるが、葉そのものは何の匂いもしない。それなのに、実のあるあの独特の匂いは、どこから来るものであろうか・・・。

 今年は、園児に家庭へのお土産にすこしずつでも持たせたいという思いがあったので、さかんに実が落ちる中、かなり意欲的に拾った。完全に熟した実が落ちる時、まるで地表でちょうど小さいおはぎが落下したような音をたてた。背後に前方に、あちこちに次々と小さなおはぎの音を聞きながら、「どうか私の頭だけは落ちてくれるな。」と念じながらも、いつのまにか銀杏の音に愛着すら感じていた。
栗でもない、どんぐりでもない。今まで気づかなかったが、これは他では聞けない「銀杏の落ちる音」そのものであった。表面が少し凸凹があるせいか、完熟した果肉は独特の質感でぽったりと地面に静止している。少しも形を崩さずに。
 一番、匂いの強いのが果肉質の部分で、一粒ずつ手でぬるりっとこの部分を取り除くと中に、白い硬い実が現れる。なかなか暇のかかる作業であり、私は毎年、注意しているのにかぶれる。一度かぶれると一ヵ月は治らない。今年もやっぱりかぶれてしまった。

 亡くなった姑から聞いた、銀杏遊びの話を思い出す。姑は大正二年生まれであったから、姑の子供の頃というと大正時代のことである。「銀杏かつけ」つまり、銀杏を使ったビー玉遊びのことらしい。ビー玉のない時代のことである。子どもたちは、各々バチと呼ぶ大切な自分の親玉の銀杏を持っており、母親に作ってもらった「巾着袋」に入れ腰に吊して歩く。そして、グループでビー玉ならぬ「銀杏かつけ」(銀杏の当てっこ)をしたようだ。
 親玉の中でもとび抜けて大玉は、「織田さま」といったとか。何でも織田さん方のいちょうの粒が大きくて、とてもみんなの憧れであったとか。
 二十年後の私の幼年期は、銀杏がビー玉となり腰の巾着袋の中でガチャガチャと音を立てさせながら、遊び歩いたものだ。地面に書いた三角形の中のビー玉、ねらい打ちし弾き出す。毎日毎日、日の暮れるまでビー玉で遊んだ。今でもあの地面に書かれた黒光りをしている三角形がよみがえる。
今、園児たちが、各々にペイントした銀杏が保育室の棚に並んでいる。いろいろとルールを工夫しながら銀杏おはじきが流行している。